何でもリトアニア from スウェーデン


by traku7
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リトアニア滞在3日目 カウナス第9要塞特集

この日はリトアニア第二の都市カウナスを訪れた。ビリニュスとカウナスの距離は約100kmで鉄道やバスも頻繁に運行されているが、カウナスに到着してからの足を考えると車の方が便がよいと判断したため、リトアニアで初のレンタカーに挑戦した。

今回は、第9要塞博物館(Devinto forto muziejus)訪れるのが最大の目的で、結局時間が無くなってしまったのでカウナスの旧市街散策は次回へのお預けとなってしまった。

で、そもそも第9要塞とはなんぞやかというと、19世紀の終わり頃当時のロシアの皇帝が対西側への防衛のために建てた第9番目の要塞。よって、第9要塞と呼ばれる。第二次世界大戦中ナチスの支配下にあった時代にはユダヤ人の強制収容所として使われ、リトアニアのみならずフランス、ドイツなどからもユダヤ人が運ばれ約3万人がここで命を落としたとされている。


c0025346_6314787.jpgおまけの一枚。カウナスの顔の一つとして、

カウナス城。

カウナス市内での観光はこれだけ。







c0025346_6345862.jpg第9要塞博物館への入り口。

ここの建物は大きく2つに分かれていて手前の建物にはチケット売り場と第9要塞に関する写真展示館になっている。要塞本館に入るにはここでチケットとガイドを予約しなければならない。ガイドはリトアニア語、ロシア語、そして英語。そして、迷わず英語を選ぶ。

9年前に初めて来た時はリトアニア語とロシア語のガイドしかなく、しかも、その当時は私はまだリトアニア語が大して出来なかったので、一緒に来た親友のエディタにリトアニア語から当時唯一の共通言語であった仏語に通訳してもらった。今考えると、理解度はイマイチだった気がする。でも、あの頃よりは博物館もニーズに答えるように変わってきたらしい。おかげで今回はよく理解できた。


c0025346_6574269.jpg最初の写真展示館の後姿。『正面から全景撮ったら?』とつっこみが入りそうだけど、余りにも意味不明で個性的な建物なので進みながら撮影にトライするうちにタイミングを逃してしまった。


c0025346_733191.jpg気を取り直して正面を向くと、ちょっと先に第9要塞の本館が見える。第9要塞は実際中に入って見学することが出来るが、ガイドをつけなければ入れない。リトアニア語とロシア語のガイドは中年以上のおばさんたちだったが、英語はロランダス君という二十歳くらいの若い男の子だった。時代を反映してるね。

リトアニアでは今では割りと英語が通じるようになってきたけど、30歳代以上になると年齢が上がるごとに英語が通じなくなる。今の若い世代では学校での英語かロシア語の選択ではほとんどみんな英語を取るから、ロシア語ができる割合が極端に減っているらしい。


c0025346_7384963.jpg要塞の外壁。

第9要塞の本体はそれ以前のレンガ造りの要塞と違いコンクリートで作られたため強度が強かった。敵からの砲撃の衝撃を和らげるために要塞の壁が2重のコンクリで中が空洞になっていたり、色々工夫されていたようだ。

要塞内に展示されている大砲の中には普通の農夫の所有だったものもある。というのも、大戦後、野原でそのソ連製の大砲を見つけた農夫が近年まで自分の納屋にその大砲を隠し持っていたらしい。発見された時はまだその大砲が使用可能だったほど状態が良かったとのこと。

また、ユダヤ人の強制収容所として使われていた当時、残っていても結局殺されると分っていたユダヤ人約60人が、数ヶ月かけてすこしずつ鉄の扉にドリルで小さな穴を開け、その穴の数が300いくらかに達した頃、ドイツ人将校たちがクリスマスに浮かれている最中にその扉を破り二手に分かれて脱走した。一方は森の中に隠れているパルティザンに合流しようと森へ逃れ、もう片方はカウナスのユダヤ人ゲットーへ助けを求めた。結果、森へ逃げた一行は道に迷い最終的にナチスの追っ手に捕まりほとんどが殺され、ゲットーに逃げた集団は生き延びることが出来た。生き延びた中の一人はこの時の様子を本にして出版したらしい。が、私はその現物を確認できなかった。興味があるんだけどね。

この要塞博物館では要塞の中を歩きながらこうした逸話やを聞いたりするほかに、数多くの写真展示や実際収容所として使用されていた部屋を当時の様子のまま見ることもできる。杉原千畝氏に関する展示もある。彼の評価はリトアニアでは高い。


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要塞の外壁の向こうにモニュメントを見る。

この外壁とモニュメントの間には外堀があり、ここでかつて銃殺が行われていた。


c0025346_748440.jpg囚人たちはこの外堀のコンクリート壁を背に立たされた。


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『1943年から1944年にかけてナチスがこの壁の前で人々を銃殺し焼却した』と石碑に記されている。

良く見ると壁には弾痕の跡が刻まれている。

世界遺産に登録された美しいビリニュスの旧市街の裏にはこういう歴史も存在していたのだ。


第9要塞博物館を見学し終えた後は、ビリニュスのシーマスの実家に御呼ばれしていたので、速攻で車を飛ばしてカウナスからビリニュスへ向かった。こういうわけで、カウナス観光はこの要塞とカウナス城だけになってしまたのである。

この日はシーマスの実家で懐かしい人々と再会し、手作りのリトアニア料理とウオッカで締めくくり。
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by traku7 | 2007-08-01 06:17 | リトアニア再訪 2007年度夏版