何でもリトアニア from スウェーデン


by traku7
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二文化の中に生きるか二文化の狭間に生きるか

久しぶりにストックホルム大学のバルトインスティテュートに顔を出してきました。というのも、リトアニアのビリニュス教育大のDr. ラドゼヴィチエネ氏によるリトアニア人でありながらスウェーデンとリトアニアに交互に住み、スウェーデン語とリトアニア語で作品を残した作家インガス・シェイニウス氏(1889-1959)に関するセミナーがあったからなのです。

初期の頃は雑誌社に勤め、後に外交官となった彼はスウェーデンのみならず北欧各国にも滞在しましたが、1940年に祖国リトアニアを追放されてからは一度もリトアニアに戻ることなく、1959年に死去するまでスウェーデンに滞在していました。

バルト海を挟んで隣同士の両国とはいえ半世紀から一世紀前に言葉も文化も違う国と自国リトアニアを行き来しながらリトアニア語とスウェーデン語で小説、エッセイ、コメディ、歴史物と幅広く書き続けました。

彼が初めてスウェーデンの地を踏んだのは26歳の時で、28歳の時(1917)にはすではスウェーデン語で『Litauiska Kultur (リトアニア文化)』というエッセイを出しています。こんな短期間に完璧にスウェーデン語を習得して世に作品を出せるのはすごいですね。セミナー参加者からも感嘆の声が上がっていましたが、私としても是非スウェーデン語習得の秘訣を伝授していただきたいところです。





リトアニア語では1913年に書かれた長編小説『Kuprelis』(背むし)を初め、1933年から40年にリトアニアに帰国していた際には『Aš dar kartą grįžtu』、今風に翻訳すると『また戻ってきたよ』、1937年のコメディ『Diplomatai (外交官)』などがあります。

結果的にスウェーデン語で書かれた作品は計16作品で、母国語リトアニア語よりも作品数は多いのです。

第一次、第二次世界大戦の時代にジャーナリストであり外交官でもあった彼はその視点から当時のリトアニアを綴ったものも多く気になるところなのですが、なにせ古いのでスウェーデンでは全て絶版だそうです。

実はこのセミナーには彼の息子であるイルビス・シェイニウス氏も参加されていたのですが、スウェーデンでの出版社は余りにも古いために再版の興味を示さないそうです。ですが、彼のスウェーデン語での作品が近いうちに全部リトアニア語に翻訳されるそうです。

実は作家のインガス・シェイニウス氏のことはこのセミナーまで知らなかったのですが、私の心のふるさとリトアニアと現在住み着いてしまったスウェーデンの二国に一世紀近くも前に生き、それぞれの文化・言語、時勢を反映して残したリトアニア人ということで大変興味深いです。

…おまけ…

セミナーの後はワインとチーズで〆ました。
インスティテュートの学長やリトアニア語のプロフェッサー、リトアニア文学の先生とも久々にお会いして来ましたよ。
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by traku7 | 2007-04-27 02:28 | リトアニア語