リトアニア再訪2
2004年 12月 30日
着いたのは前の晩ですが実質的には今日がリトアニア再訪初日。
親友のEは1歳になる双子の男の子の世話で手が離せないので、彼女の従兄弟3兄弟のうち次男坊18歳のGくんと末っ子11歳のV坊、そしてEの妹14歳のSちゃんが私の相手をしてくれることに。みんな私より10歳以上年下で、V坊に限っては親子くらい年が離れてるけど、彼ですら私より背が伸びていました。5年前に会ったときGくんは可憐な少年だったし、V坊はかばんに詰めて持ち帰りたいほど可愛くて、Sちゃんはパンツ一枚で海で泳いでいたけど、もう出来ないお年頃。私はほとんど変わっていないけど(?)、10代の5年間って変化が大きいなとしみじみ感慨に浸りながら、みんなでヴィリニュスの街へ繰り出しました。
かつて歩きなれたヴィリニュスの旧市街は観光客向けにきれいに改装され、新しいお店が出来た代わりに馴染みのお店が消えていたり、以前はなかったピザやカフェのチェ-ン店の進出が目に付きました。何よりも観光客がどっと増えてカフェで一息つくにも空きを探すのさえ困難でした。初めて訪れた7年前の年末なんて観光客はほとんどいなかったのに、こんなところでもリトアニアが大きく変化しているのを感じました。写真はゲディミノ大通り。遠くに見えるのは大聖堂と鐘楼。
私のお気に入りだった今は無きカフェAlumnatasの中庭。この景色を見ながら夏場はこの中庭のテラスでお茶を片手に本を読んだものです。日本帰国間近に最後に訪れた時、既に常連客となっていた私はカフェのおごりでお茶をご馳走になったのも良い思いでです。この建物の歴史は古く1582年に当時のロ-マ法王グレゴリウス13世によってヴィリニュスアカデミ-の学生信者のために建てられた寮で、その後1622年に3階建ての建物が建てられました。
そして、この日の夜はヴィリニュス大学時代の友達Iと5年ぶりの再会。かつて良く食事をしたゲディミノ大通りにあるレストランPrie Parlamentoで昔と同じようにお茶をしました。
親友のEは1歳になる双子の男の子の世話で手が離せないので、彼女の従兄弟3兄弟のうち次男坊18歳のGくんと末っ子11歳のV坊、そしてEの妹14歳のSちゃんが私の相手をしてくれることに。みんな私より10歳以上年下で、V坊に限っては親子くらい年が離れてるけど、彼ですら私より背が伸びていました。5年前に会ったときGくんは可憐な少年だったし、V坊はかばんに詰めて持ち帰りたいほど可愛くて、Sちゃんはパンツ一枚で海で泳いでいたけど、もう出来ないお年頃。私はほとんど変わっていないけど(?)、10代の5年間って変化が大きいなとしみじみ感慨に浸りながら、みんなでヴィリニュスの街へ繰り出しました。
かつて歩きなれたヴィリニュスの旧市街は観光客向けにきれいに改装され、新しいお店が出来た代わりに馴染みのお店が消えていたり、以前はなかったピザやカフェのチェ-ン店の進出が目に付きました。何よりも観光客がどっと増えてカフェで一息つくにも空きを探すのさえ困難でした。初めて訪れた7年前の年末なんて観光客はほとんどいなかったのに、こんなところでもリトアニアが大きく変化しているのを感じました。写真はゲディミノ大通り。遠くに見えるのは大聖堂と鐘楼。
私のお気に入りだった今は無きカフェAlumnatasの中庭。この景色を見ながら夏場はこの中庭のテラスでお茶を片手に本を読んだものです。日本帰国間近に最後に訪れた時、既に常連客となっていた私はカフェのおごりでお茶をご馳走になったのも良い思いでです。この建物の歴史は古く1582年に当時のロ-マ法王グレゴリウス13世によってヴィリニュスアカデミ-の学生信者のために建てられた寮で、その後1622年に3階建ての建物が建てられました。
そして、この日の夜はヴィリニュス大学時代の友達Iと5年ぶりの再会。かつて良く食事をしたゲディミノ大通りにあるレストランPrie Parlamentoで昔と同じようにお茶をしました。
by traku7
| 2004-12-30 00:44
| リトアニア再訪